仕事の都合で、東陽町で昼食。仕事の準備をしてさて戻るかなーと思ったところ目の前に、
「洲崎」という名称が・・・
すぐ近くに、旧赤線地帯の洲崎があることを思い出し、鞄のデジカメ確認w
よしブラブラ歩いてみよう。
昭和33年(1958年)4月1日に売春防止法が施行され、消えていったため
赤線というものを覚えている世代はたぶん60代以上の方になると思います。
死んだ親父は吉原はもちろん、東向島にあった鳩の町・玉の井でだいぶ遊んでいたようで
す。
このあたりは血筋ってことでw
地下鉄メトロ・東陽町駅から永代通り沿いに木場駅方面へテクテク。
東陽3丁目の交差点を左折すると、現在は埋め立てられて緑道公園になっている洲崎川の
上に小さな橋が架かっています。
現在は大門通りと呼ばれており、このあたりに大門があったとのこと。
この橋を渡った先にかつての赤線・洲崎があったようです。
しばらく歩くと、古そうな建物が小さな商店街のなかに見えてきます。
赤線地帯の風俗営業店はカフェーという特殊喫茶wという形をとって営業していたため、
カフェーらしく見せるために派手な装飾のお店が多かったそうです。
このあとあてもなくブラブラ歩いて見ました。
下町の景色が続く中・・・むむこれは?
現在は赤旗系w先生の事務所のようですが、あきらかに古そうな建物が見えてきます。
大賀という看板はおそらく当時のお店の名前でしょうか。
角の柱がタイルになっているところが、なんとなくカフェーっぽいです。
さらにプラプラ歩くと、それらしいアパート発見。
入り口が3箇所あったのでしょうか、現在は真ん中の入り口だけになっています。
洲崎はもともと根津にあった遊郭が本郷に東大を建設する際に強制的に移されてできた
のですが、戦後は赤線地帯として生き残っていたようです。
かろうじて面影が残っていましたが、現在は普通の住宅街です。